新宿ホスト風ライターの
古谷経衡が、
「もう『戦争論』は卒業したんだいっ!」
とイキってる記事
『戦争論』を再検証する]について、
具体的に批判していきます。
古谷は『戦争論』について、
〈すでに当時の保守論壇で使い古されていた
陳腐な歴史観の漫画化に過ぎない、
という厳然たる事実を認めざるを得ない。〉
とした上で、
『戦争論』の参考文献一覧に
渡部昇一の著作があるのを見て
鬼の首でも取ったかのように、
〈『戦争論』の元ネタの大部分
を同書が占めている〉
を同書が占めている〉
〈渡部史観とは、まさにのちのネット右翼の
思想的源流というべき歴史観であり、
小林が『戦争論』によって、この渡部史観を
はじめて漫画化したのである。〉
と言っています。
うわー懐かしー!
その手の陳腐な批判は、
19年前に『戦争論』が出版されるや否や、
左翼が山ほど言ってきましたよ。
「大東亜戦争肯定論なんか、ずっと昔から
保守論壇にあって目新しくもなんともない」だの、
「保守言論人に吹き込まれた
歴史観を漫画にしただけ」だの、
歴史観を漫画にしただけ」だの、
「原作・右翼政治家、絵・小林よしのり
の漫画だ」だの。
の漫画だ」だの。
要するに、
左翼もネトウヨも古谷ツネヒラも、
「作家性」ってものを、
全然理解していないのです。
小林よしのりの言う「大東亜戦争肯定史観」も、
渡部昇一の言う「大東亜戦争肯定史観」も、
ネトウヨの言う「大東亜戦争肯定史観」も、
みーんな同じだと思っているのです。
なんという短絡脳!
一見、似たように思える主張でも、
誰が、どんな動機で、何を目的に
言っているかで全く違うという
ことすら理解できないほど、
知性も感性も劣化しているのです。
大東亜戦争の「アジアの解放」という大義を、
「保守サロンの『定型文』」呼ばわりするのは、
侮辱以外の何者でもありません。
これは実際に、当時の多くの軍人さんたちが
本気で信じ、命がけで実現しようとした
のであり、そのために命を散らした人も
のであり、そのために命を散らした人も
数多くいたのです。
20年前、『戦争論』の準備で
多くの元軍人さんにお会いしました。
みんな、その時の大義を
戦後も持ち続けていました。
戦後も持ち続けていました。
しかし、当時は戦争に行った人は
「悪」としか見なされない時代で、
彼らの思いも、死んでいった彼らの
戦友たちの思いも、踏みにじられた
ままになっており、その無念の思いを
感じることも多々ありました。
「悪」としか見なされない時代で、
彼らの思いも、死んでいった彼らの
戦友たちの思いも、踏みにじられた
ままになっており、その無念の思いを
感じることも多々ありました。
だからこそ、よしりん先生は
戦争に行ったじっちゃんたちと
若い世代の間に情の橋を架けようとして
『戦争論』で大東亜戦争肯定論を
描いたのです。
描いたのです。
自分が戦争に行ったわけでもないのに、
日本に生まれたということだけで
自分は偉いのだと思いたいために
日本の戦争を肯定しているネトウヨ連中とは、
根本的に動機も目的も違うのです!
かつては夢中に読んだはずなのに、
作品に流れている「情緒」も「作家性」も
一切感じ取れなくなって、
「大東亜戦争肯定論」を
単なる「情報」で「企画」だ
としか受け止められず、
としか受け止められず、
ネトウヨが言ってることとの区別すら
つかなくなってしまった古谷ツネヒラ。
お可愛そうに・・・。
まだ若いはずなのに、すっかり頭の中が
劣化してしまっているようです。
『戦争論』が「陳腐」だと言えば言うほど、
実は『戦争論』をそんな風にしか読み取れない
己の知性と感性の陳腐さを暴露しているにすぎない、
と昨日指摘したのは、つまりこういうことです。